この日、空より舞い降りて 1


from  双葉 様
(FREE FRONTIER)


「―――か。陛下、陛下?」
 怪訝そうな声にアンジェリークは我に返った。慌てて顔を上げると、オスカーが腕を組んで微かに眉をひそめて立っていた。
「皆もう退出してしまいましたよ?」
 そう云って、オスカーが広い会議室を一瞥し軽く肩を竦める。
「えっ」
 驚いたようにアンジェリークは呟いた。見開かれた翠玉色の瞳が全く気づいていなかったと、雄弁に語っている。短くオスカーが苦笑した。
「あ…、ごめんなさい……」
 アンジェリークが謝り、すっと瞼を伏せる。唇から無意識の内に溜め息が洩れた。
「―――謝る必要はありませんが」
 オスカーが微妙に顔を顰めながら歩み寄る。
「それは…?」
 アンジェリークはオスカーが手に持っている数枚の書類に目を留め、不思議そうに訊ねた。ああとオスカーが小さく笑う。
「今すぐサインしてもらえますか?」
 差し出された書類を読んで驚く。
「下界に行くの?」
「はい。陛下もご一緒に」
「え、私も――?」
 アンジェリークは思ってもいなかった事を云われ、戸惑った。説明を求めてオスカーを見る。
「……」
 だが、そんなアンジェリークには構わず、オスカーは机の上に両手をついた。上体を屈めてアンジェリークの瞳を覗き込み、じっと凝視する。
「…オスカー?」
 オスカーが片方の手を伸ばしてアンジェリークの頬に触れた。確かめるかのように何度もなぞる。
「オスカー…?」
「……ふ、ん」
 小さく呟いてオスカーは手を離した。
「あの…」
 アンジェリークは答えてくれないオスカーを怒って睨んだが、涼しい顔で見返されてしまった。
「陛下は、俺と、出かけるのは嫌ですか?」
「そんな事は云ってないわ!」
「―――だったらいいだろう、お嬢ちゃん?」
 不意にオスカーが態度を和らげた。どきりとアンジェリークの心臓が脈打つ。
 思い出したようにアンジェリークが近すぎるオスカーの顔から離れようと身動ぎした時―――ふっとオスカーが表情を一変させた。精悍な顔に、うっとりと誰もが見惚れてしまうような艶やかな深い微笑みが浮かぶ。
「……っ」
 その瞬間を目の当たりにしたアンジェリークは硬直した。かあっと頬が熱く燃え上がる。瞳を逸らすことが出来ず、見惚れてしまう。
「アンジェリーク…」
 オスカーがアンジェリークの視線を絡め取ったまま、囁く声のトーンを一段落とした。
「キスしてもいいか…?」
 ぞくりとアンジェリークの身体が震える。薄氷色の瞳から逃れるようにアンジェリークは両手で顔を覆った。熱い。心臓は早鐘のように打っていた。
「あの、でもその…っ」
「誰も見ていない。ここには俺と君しかいない…そうだろう?」
 吐息がかかる距離でオスカーが言葉を紡ぐ。
「……」
 ゆっくりと、オスカーは顔を覆い隠していた手を外した。外した手をそのまま軽く握り締める。
「……」
 アンジェリークはオスカーの優しい眼差しに促されるように瞳を閉じた。
 オスカーは先ず、火照った頬にキスを落とした。金色の髪に指を差し込んでその柔らかな感触を楽しむ。それから微かに震える唇に己のそれをしっかりと重ねた。


 オスカーは自分が離れた後も、ぼおっとしているアンジェリークをくすくすと笑いながら立ち上がらせた。
「さあ出かけるぜ、今すぐに」
 何か云いかけるアンジェリークの唇を指で塞ぐ。
「着替えておいで」
 有無を云わせぬ口調。
「デートだ」
 もう何も考えられず、アンジェリークは頷いた。



† † †



 アンジェリークがオスカーに連れられてやって来たのは主星だった。
「懐かしい…」
 吐息と共にそう呟いたアンジェリークは瞳を細める。女王になって初めて訪れた主星は、覚えている頃とは随分と変っていた。
 わかってはいたことだけれど、実際にこの目で見ると胸の奥が疼く。
 アンジェリークは自分の手に目を遣った。その手は、主星に着いてからずっと、オスカーが握っていてくれている。
 小さく深呼吸をして、改めて周りを見た。大丈夫、心は落ち着いている。すると変っていないところも見つけることが出来て、アンジェリークはもう一度、だが今度は嬉しそうに呟いた。
「懐かしい…」
 アンジェリークはオスカーを見上げた。案じるように自分を見ているオスカーに、にこっと笑う。
「…ねえ、どうして急に主星に連れてきてくれたの?」
 こんな急なデート、それも下界に。説明は、はぐらかされたままだ。
「いや、最近疲れているみたいだったからな。顔色も悪かった。女王になってからというもの働き詰だっただろう?」
 アンジェリークはまた自分の手を見た。まだ繋がれているオスカーの、大きくて温かい手。
「―――来てよかった。ありがとうオスカー。何か、ほっとしちゃった…」
「それは何より。では、久々のデートを楽しもうか?」
 オスカーが軽く笑んで手を解放した。離れていく温もりが淋しかったが我慢する。
 歩き出そうとして、アンジェリークは微かに眉を顰めた。オスカーの腕に自分の腕をしっかりと絡める。どうした?というようにオスカーがアンジェリークを見た。
「…すれ違う女の人、みんながオスカーのこと見てるんだもん」
「俺は魅力的だからな」
 しれっと云うオスカーにアンジェリークが頬を膨らませた。くすりとオスカーが笑う。
「いいじゃないか。俺は君しか見ていない」
 そう告げたオスカーの瞳は笑っていなかった。
「君も俺だけを見ていろよ。他の事など目に入らなくなるほどにな…」
「……」
 返事の変わりにアンジェリークは絡めた腕にぎゅうっと力を込めた。
 自分は、オスカーの言葉に甘えてる。だってオスカーは欲しい言葉をくれるから。それに比べて自分はなんて子供なんだろう…。
「だが、嫉妬してくれて嬉しいぜ」
 器用に片目を細めて笑ったオスカーが何だか悔しかった。


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